本谷有希子の嵐のピクニックを読んでいるところ。

どれも少し変だったり狂気があったりでおもしろいけれど、
ひとつ印象的だった話がダウンズ&アップス。

地位名誉お金どれも持っているデザイナーが主人公。
彼のお金のにおいに集まった、お金持ちたち。
そんな人たちの中ではお世辞やうわっつらだけの会話がとびかっている。
主人公もそれで満足していたし、それで相手も楽しんでくれているのならいいだろうと思っていた。
何のきまぐれか、退屈だったのか、刺激を欲した。
それは、お世辞ではなく本音を言ってくれる若者という刺激。
その若者によって満たされていったけれど、
実はお世辞だけの世界でも本音の世界でも表裏一体で同じだと気が付く。

彼に気に入られるためにお世辞を言う人たち、
彼に気に入られるために本音をぶつけてくる人たち。

最後には、なんだかこんな本音をぶつけられるということがバカバカしくなって、
元のお世辞ばかりの世界に戻っていく。
そもそも自分のスタイルを崩してまでやることじゃなかったな、と言って。


なんだか心にひっかかるところがあって、すぐに2回読み返してしまった。
人は誰かに気に入られたいし、権力に従順になるし、うまくやりたいと思っている。
それを満たす方法は、お世辞を言うのか本音でぶつかってなのか、
でも、どちらにせようまくやって気に入られたい、という本心は一緒、たいして違わない。

お世辞ばかりやうわべしか見ない世界はあまりよくないと思われているけれど、
実際暮らしていてそんなのばっかり。
会社でもうまくいくためには、本音ばかりなんて言ってられない。
そんなことしたらおそらく仕事の人間関係が崩壊すると思うし。
もう離れて住んでいる家族でさえ、大人になったのだから子供の頃のようなわがままばかり言わない。
ある意味、本音ばかりではうまくいかない。

もちろん中には、みててびっくりするほど喜怒哀楽が出てて本音?で突き通しているひともいる。
それはそれで、その人のうまくいくようにする方法なんだろうな。

この話を読んだら、何かをうまくいくように、という方法は人によって違うし、
それがお世辞ばかりに世界でも本音の世界でもなんでもいいんだ、と肯定してもらえたような気がした。


もうちょっと波があってもいいのかなーと思いつつも、
会社では感情を平坦にしているのは
仕事をスムーズにするための自分に向いている方法なんだろうなと思えた。


その話の最後のページにあった、
人はみんなたいして変わらない。
そうかもしれないな、
色んな方法はあれど、みんな向いている方法は同じで、
うまくやりたい、と思って一生懸命自分の方法でがんばってるんだなぁ。




そろそろ、ガダラの豚が読みたくなってきたころ、、