十人十色とはよくいったもので

ひとの感覚てふしぎ。

仕事で、703と707に人を分けていくということをしてた。
703はピンクの札、
707は白の札。

リストに書いてある通りに分けるというとても単純な作業。
でも、これ、わたしにとってはすごく難しくて、
札を何度も確認しないと分けられなった。
しかも、一度すべての人をテレコにするというイージーミスをしてた。
(この札は別のひとが作ってくれていた)


なぜ、こんな簡単なことを間違えてしまうのか、
悩んでしまうのかと考えてると、ふと、気が付いた。

703と707の札の色が違う。
わたしが想像する色と違う、っていうこと。

これはわたしだけの感覚なんだろうと思うけれど、
数字に対して性別がある。
1、3、5、9は男の子ぽい=青
2,4、8は女の子ぽい=ピンク
6、7は中性的。=みどり、きいろ、むらさき、とか

別に、共感覚とかそういうものを持ち合わせているわけでは
ないけれど、こんな風に分かれている。

そうなると、703はピンクより青のイメージになる。
青と白の組み合わせなら間違えることはなかっただろうけれど、
ピンクと白だったから混乱して間違ってしまったのだろう。


不思議。
もしかしたら、札を作ってくれた人は、
この数字にはこの色っていうイメージを持って作ってくれたのかもしれない。
同じように数字に対して色のイメージがあったとしても
こんなに違うのか、とそれはさらに感慨深い。


どうして違うのか、という疑問もさることながら、
いつからそのイメージを持っているのか、
ということも気になる。
先天的になのか、後天的にか。
おそらく後天的にだとは思う。
ということは、育っていくいつかの過程でそういう刷込みがあったのだろうか、

思い浮かぶこととすれば、
たとえばテレクラのティッシュとか。
色とりどりに書かれた電話番号の数字、
それがたまたま偶数の色にピンクが多かったから、とか。

たとえば水のトラブルのチラシ、とか。
3とか水に語呂が合わせられそうな数字が青を多く使っていたから、とか。


検証のしようもないので、わからないけれど、。
(たしかゼミの先輩が同じような疑問を研究してたけど、何かわかったのかしら)
みんなそれぞれに微妙にずれた世界を持ちながら一緒に暮らしているという
それって、けっこう壮大なことだなあ、と思ったりする。