キレたことはない17歳だった

ヘルタースケルターとほかちょろっと作品をかじったくらいだけど大丈夫かな、
と思いながらもわくわくした気持ちで岡崎京子展へ行った。

あまり知らなくっても十分十二分に楽しめた。
これ、本当に好きな作家だったらもっともっと興奮したのではないかな。
色付きの原稿を見たときに、ぐわっと心をつかまれた。
もちろん知らない作品がほとんどだけど、
漫画家の展覧会のいいところは、漫画が展示されているので少し読めること。
そこであら、いいわねこの作品と興味がわくところがいい。
まさにその策略?にはまり、外にあったご自由に読んでねコーナーで、
pinkとリバーズエッジともうひとつ読んでしまった。

何よりもよかったのは、岡崎京子の当時受けたインタビューの雑誌などの展示。
当時の時流に乗りに乗りまくって、すごく笑顔が素敵で
心から今を楽しんでるというか、やりたいことをしっかりやりきってるのをひしひしと感じた。

それと同時にちょっとさびしくも感じる。
82年生まれの私は、80年代生まれではあるけれど、80年代のカルチャーはほとんど知らない。
なんたって空前のアイドルブームの花の82年組のデビューと同時に生まれたのだから。
バブル期には生きていたけれど、恩恵を感じるほど大きくなかった。

かといって90年代生まれでもない。
90年代生まれのひとたちって、
都会だけでなく地方出身者でもシティボーイ、シティーガールな雰囲気がある、
と最近思っている。
このあいだ取り寄せた1990Xという雑誌を見てとみにそう思った。
当時感がないから、オザケンコーネリアスBOSEとかなんかそうゆうのを
懐かしさというのとは別の感情でさらっと今っぽく取り入れているような。それがまたよかった。
何かを取り入れようと思ったときに懐かしさという感情はすごくジャマだと思う。
どうしても、その頃を引きずってしまってダサくなる。

また、わたしより7歳ほど上のまだ生で暴走族見れた世代(と勝手に呼んでいるけれど)
になると、80年代〜90年代のカルチャーを知っている。
自分たちでそうゆうのをいんぐりもんぐりやりつくしてきたから、
1990Xを見てもうーん、だから?とピンとこない感じだった。
どうも昔の焼き回し感が否めないらしい。

82年生まれにある唯一のメジャーな呼び名はキレる17歳だけ。
実際、わくわくするカルチャーって何かあった?て感じだし、
すべてが中途半端じゃないのか。ゆとりでもないし、インターネットもまだ流行りかけだったし、
特にまた絶妙に中途半端な都会でも田舎でもない所に住んでたのもひとつかもしれないけれど。
カルチャーはあるけれど、その過渡期だったかもしれない。
そのカルチャー過渡期に乗れなかった世代。
例えば人生ゲームとかで、最初の職業決めるところで始めず途中から参加、
中途半端すぎてでお金もかせげないし、家も買えない、みたいな。
よくわからんけど、下の世代にも上の世代にも憧れる。


とにかく最後まで見て、この言葉にはぐっときた。
おおさかちゃうし、というツッコミは置いておいて。


ここの美術館はシュッとしていて気持ちがよかった。


おしゃれな保育園。希望する人多いだろうなーと思っていた。
みんな元気に走り回っていたし。


街に自然と溶け込んでいたけれど、これは良ビルだと思う。


そして大型ショッピングセンターからは、ふるえるほど壮観なマンション群が見える。
(この写真は違うけれど)
鳴り物入りでできたニュータウンだったのだろうな。
少しさびれた感じのマンションもいくつかあって、それを臨みながら昼ご飯を食べることができる。
すごく、すごくいいレジャーだった。