3回目のパン教室で作ったパン。


ケシの実が入っていて、さらにくるっと回す技術を覚えた。

まだ復習はしてないから、次はうまくできるかどうか、、、
これまでは甘いパンだったので、たまごやベーコンに合いそうな
おやつじゃないパン。
次に作るのが楽しみ。

最近になってやっと気がついたことがある。
会社の中で頼まれる仕事って、実際のところなんだってできる、ということ。
よっぽど、例えば設計とか技術じゃない限り、
(もしかしたらそれすら)経験がなくてもできる。
なんとか、今までの知識とか経験とか、あとは度胸があればなんでもできる。

今の仕事は特に専門的でもなんでもない仕事だけれど、
何年かいるうちにあれよあれよと当初の業務と全く違うことをしている。
「これできる?これやって。」  
「うーん、、はい。」
みたいな感じで軽く引き受けて、なんとかかんとかギリギリふんばっている。
得手不得手はあるし、いまいち上手くいってるかはわからないけれど、
それなりに形にすることくらいはできる。

10月から新しく授業を持つことになったのだけれど、
それは学生時代に勉強したことをテーマにしている。
自転車操業でいつも必死のパッチだけど。
まさか、学生時代に得た知識(もはや忘れすぎて知識でもないけれど)が
ここで生きてくるとは。
学生時代の勉強はそれ自身、将来生きることはないと、
ゼミの先生や先輩にはっきり言われたことを覚えている。
自分でもたしかにそうだと思ってた。
まあ、でも無駄ではなかったな。

勉強することって、つきつめれば四則計算と漢字くらいしか
現実的に意味をなさないように思ってしまう。
だから学生時代は興味がない授業は聞かなかったり、寝ちゃったり、欠席したりと
散々もったいないことをしてた。

仕事でどんなこともできるだろう、と思えるのは、
色んな知識に対してわりと広く興味を持ってこれたおかげでもあるし、
勉強してなくとも、こんな世界があるのだと学生時代に知れたから。
あと、勉強する方法を知れたことが大きい。
今は情報があまりに多いから検索力がものを言うけれど、
正しそうな知識を手に入れることができたり、手に入れられる場所を知ることができる。

なんだかやっぱり、そうゆう色んなことの積み重ねで
世の中をわたっていけるものだな〜と、
やっぱり世の中に無駄なことはないな、と改めて思った次第。

ま、それをほかの人が同じように思えばいいのに〜とはそんなに思わないし、
少しは興味の幅をもって勉強したほうがいいなーとは思うけど、
人に言われてというより自分で気づくものだしな、
と考えるようになってきた。昨年は伝えられたら、、なんて言ってたのに。
どちらかというと、指導するとかよりひんやりした本来の自分に戻ってきた感じあり。
今の仕事にだんだん向かなくなってきているなー。

いただいた洋梨
おいしい。甘いイモみたい、と言われた。

パンの記録

やっと、パン教室に通うことができるようになった。


パン・オレの復習。

家で作ると、一体どれくらい捏ねたらいいのか、
どれくらい発酵させればいいのか、
そうゆう微妙なところがわからなくなってしまう。
教室で作った感触を思い出して丁寧につくったらわりとうまくできた。

クリミナルマインドで、
独学で1000日学ぶより、よき指導者に1日つけ、という名言があったけれど
まさにそうだな〜と思う。

粉の計り方のコツや、
パンの切れ目(クープやっけ?)の入れ方、
このパンは砂糖を振りかけているんだけれど、かけすぎると焦げるよ、
オーブンの鉄板へのパンの並べ方、とか。

ちょっとしたことだけど、そこが意外とパンの出来を左右するということを先生が教えてくれる。
もっと色んなパンの作り方を知って、朝のパンのバリエーションふやしたい。

というか、家でパンを作るハードルをまずは下げないとな。
まだまだ粉を計量することにめんどくささを感じて、時間がかかっちゃうんだろうな〜と
思ってしまっているので、そこささっとできるようになれたらいいな。

シリアルキラー脳

毎日まいにち、シリアルキラーのことばかり考えている。
海外ドラマのクリミナルマインドにはまっているから。
毎日3話ずつくらい見たら、もう頭の中はシリアルキラーでいっぱい。

会社帰り、暗い道を歩くときにシリアルキラーに襲われるんじゃないか、
夜、宅配便が来たときに、いつものお兄さんが実はシリアルキラーなんじゃないか、
家の前にこの辺りのではないナンバープレートの車が停まっていたら、シリアルキラーが下見にきてるんじゃないか、
散歩をしていて窓の開いている家があったら、シリアルキラーに侵入されやしないか、、、

昨日は、会社でドアの隙間から覗いている人がいて、
「どうしたん、シリアルキラーみたいな目つきして」なんて言いそうになったけど、
なんか、あ、たぶん伝わらないと思って自戒した。

ついに夢にまで侵入してきて、
FBI捜査官の自分が潜入捜査していた施設で事件が起きて、ショッピングモールや港の船着き場を駆け回り、雑木林の中からよくドラマに出てくるような大きめの道路に出てくるという大立ち回りを繰り広げる壮大な捜査をし、そのうえで事件の黒幕はまだ残っている、、、という全身筋肉痛のような夢を見た。
またある時は、こんどは被害者になり、シリアルキラーに自殺を強要されるという恐ろしい夢、、とか。

もはやちょっとやそっとのドラマでは驚かなくなったので、
この間、悪の教典を見たけれど、ものすごくつまらなかった。
というか、シリアルキラーはこんなもんじゃない!として突っ込みどころが多くて、脚本書き直したろか!みたいな勢いになった。

これがおわったら、やっと録画してるドラマだなー、

突然、相手がさも知っているかのように話し出すのは遺伝だわ

王子公園の高架下のお店やアトリエが金曜日1夜だけ公開しているというので、
どんなところなんだろうと行ってきた。

たいてい、どんなおもしろそうな場所でもひとりで行くのが常なのだけれど、
ふと、魔がさして、近くに勤めている父に電話をして一緒に見に行かないか、と誘ってみた。
金曜日はひとり立ち飲みデーだったらしく、もう会社のそばにはいなかったけれど、
わざわざバスで戻ってきてくれた。
自分だけのひとり立ち飲みデーがあるあたり、わりと親子を感じる。

趣味がわりと似ているので、というか、その趣味を引き継いだのがわたしなので、
高架下をああでもないこうでもないと言いながら回るのは楽しい、というよりとてもラクだった。

アトリエはなかなか興味深かった。
いったい家賃がいくらなのか、どれだけ改装にかかったのか、
わりと現実的なところに目がいったけど。
自由に改装できて、音が気にならない、というのはけっこういいかも。

これいいやん、と値段も含めてよかったのでドライフラワーの植物を買ってもらった。
これに関しては、趣味が違ったようで自分のほしいのをつらぬいたんだけど。

全部見終ったあとはお寿司を食べた。
急に呼び出したうえにおごらせるどら娘、
でも、回らないお寿司はすごく、感動的に美味しかった。


帰ってから気が付いたけど、
ひさしぶりに会うのにお互いの周囲の近況を聞かなかった。
母は元気か、わたしの夫は元気か、とか。

周囲に興味のないところ、それはあんまりよくない所だと思うけれど、
受け継いでしまったんだなー。

キレたことはない17歳だった

ヘルタースケルターとほかちょろっと作品をかじったくらいだけど大丈夫かな、
と思いながらもわくわくした気持ちで岡崎京子展へ行った。

あまり知らなくっても十分十二分に楽しめた。
これ、本当に好きな作家だったらもっともっと興奮したのではないかな。
色付きの原稿を見たときに、ぐわっと心をつかまれた。
もちろん知らない作品がほとんどだけど、
漫画家の展覧会のいいところは、漫画が展示されているので少し読めること。
そこであら、いいわねこの作品と興味がわくところがいい。
まさにその策略?にはまり、外にあったご自由に読んでねコーナーで、
pinkとリバーズエッジともうひとつ読んでしまった。

何よりもよかったのは、岡崎京子の当時受けたインタビューの雑誌などの展示。
当時の時流に乗りに乗りまくって、すごく笑顔が素敵で
心から今を楽しんでるというか、やりたいことをしっかりやりきってるのをひしひしと感じた。

それと同時にちょっとさびしくも感じる。
82年生まれの私は、80年代生まれではあるけれど、80年代のカルチャーはほとんど知らない。
なんたって空前のアイドルブームの花の82年組のデビューと同時に生まれたのだから。
バブル期には生きていたけれど、恩恵を感じるほど大きくなかった。

かといって90年代生まれでもない。
90年代生まれのひとたちって、
都会だけでなく地方出身者でもシティボーイ、シティーガールな雰囲気がある、
と最近思っている。
このあいだ取り寄せた1990Xという雑誌を見てとみにそう思った。
当時感がないから、オザケンコーネリアスBOSEとかなんかそうゆうのを
懐かしさというのとは別の感情でさらっと今っぽく取り入れているような。それがまたよかった。
何かを取り入れようと思ったときに懐かしさという感情はすごくジャマだと思う。
どうしても、その頃を引きずってしまってダサくなる。

また、わたしより7歳ほど上のまだ生で暴走族見れた世代(と勝手に呼んでいるけれど)
になると、80年代〜90年代のカルチャーを知っている。
自分たちでそうゆうのをいんぐりもんぐりやりつくしてきたから、
1990Xを見てもうーん、だから?とピンとこない感じだった。
どうも昔の焼き回し感が否めないらしい。

82年生まれにある唯一のメジャーな呼び名はキレる17歳だけ。
実際、わくわくするカルチャーって何かあった?て感じだし、
すべてが中途半端じゃないのか。ゆとりでもないし、インターネットもまだ流行りかけだったし、
特にまた絶妙に中途半端な都会でも田舎でもない所に住んでたのもひとつかもしれないけれど。
カルチャーはあるけれど、その過渡期だったかもしれない。
そのカルチャー過渡期に乗れなかった世代。
例えば人生ゲームとかで、最初の職業決めるところで始めず途中から参加、
中途半端すぎてでお金もかせげないし、家も買えない、みたいな。
よくわからんけど、下の世代にも上の世代にも憧れる。


とにかく最後まで見て、この言葉にはぐっときた。
おおさかちゃうし、というツッコミは置いておいて。


ここの美術館はシュッとしていて気持ちがよかった。


おしゃれな保育園。希望する人多いだろうなーと思っていた。
みんな元気に走り回っていたし。


街に自然と溶け込んでいたけれど、これは良ビルだと思う。


そして大型ショッピングセンターからは、ふるえるほど壮観なマンション群が見える。
(この写真は違うけれど)
鳴り物入りでできたニュータウンだったのだろうな。
少しさびれた感じのマンションもいくつかあって、それを臨みながら昼ご飯を食べることができる。
すごく、すごくいいレジャーだった。

生まれたときも死ぬときも、踊るときもひとり

ダウンタウンなうを見ていたら、それこそ盆踊りなうな情報が入った。
これを逃せばもう、盆踊りに参加することはないかもしれない。
そんな思いに突き動かされて、タクシー飛ばしてまで近くのお寺での盆踊りに行った。

わたしの記憶にある盆踊りは小さな公園で小さな輪で数人の大人や子供が
適当に踊っているというものだった。
しかし、本物は思いのほか大きな輪でみんなきちんとした踊りでぐるぐると回っている。
意気込んできたものの、気おくれしてしまってしばらくの間その踊りをただただ眺めていた。
そうすると80歳のおばあちゃんが(といってもそうは見えなかった)、
「私はもうおばあちゃんで足腰がしんどいから踊らないのよ〜、お若いから踊ってらしたら。」
と盆踊りの思い出を話しながらすすめてくれたので、やっと勇気をもってエイっと輪に入った。

ほんとうにリズム感というかダンス感がないので、右手あげてるのか何してるのかは
半周くらいはつかめなかったが、だんだんとわかってきた。
いっちょまえに手のしなやかさを気にしたりなんかして。
余裕が出てきて周りを見ると、浴衣を着た人もちらほらいて、雰囲気ある。
あと、基本さえできていたら、1回転したり、自分のリズムをとったりと自由度が高い。

グルグルと回り続けていると、それこそトランス状態になりかねないというか、
そんじょそこらのクラブで踊るなんかよりずっと楽しい、いいアドレナリン出てそう。
3周ほどしたらもう汗だく。

夏の夜の祭りにはこんなに楽しいことがあったのか。
家までの帰り道、ちょっと踊りながら帰ってしまった。



また別の日にカレーが食べたいと思い、1年ぶりくらいにはり重へ行った。
こんなにかわいいカレーだったかな。
全盛期の頃ならペロリだったが、いつのまにかこのカレーですら多いなと感じてしまうのがさびしい。

お店もとてもかわいかったな。これまで全然見てなかった。

髪もみじかく切った。
夏休みの思い出。

ノスタルジーフード

その昔、給食で食べていた「黄金パン」。
地域限定のようで同じ関西でも知らないひとが多い。
加古川の、それもニシカワパン管轄の給食を食べていたひとが知っているみたい。
似たようなものはあれど、わたしが食べていたのはこの黄金パン。

揚げたコッペパンに、きなこがざっくざっくかかっている。
思いのほかパンはやわらかくて、食べるとほのかに甘い。いや、けっこう甘いかな。

これだけのきなこがかかっているので、うまく食べないとほぼ落ちる。
もう、口の周りにきなこをつける覚悟で挑まないといけないし、
かといって急いで食べるとむせることもある。
かぶりつく場合あまりお上品な食べ方はできないけれど、実は口の周りについたきなこを
ぺろっとなめるのも美味しさのひとつ。
お上品に食べるには、一口大に切れば上手にも食べられる。(たぶんその食べ方がベター)

以前は、東加古川のイオンの中にあるニシカワパン直営のパン屋さんに売っていたけれど、
いまはそのパン屋さんが閉店してしまっていた。
どうしても食べたかったので、本社にお問い合わせまでして売っているお店を確認したら、
稲美町にパン・ド・ミ稲美店に売っていると教えてもらったので何十年ぶりに食べることができた。
本社のひとありがとう。家族で黄金パンをかこむ休日はなかなか和みました。


トイレ一緒に行こうね、とかマラソン一緒に走ろう、テスト勉強やってないよね?
なんてのがそのまま大きくなったグループみたいな地元はあまり好きではないけれど、
大きくなってから散歩すると、ほんと新しい土地に来たかのようでとてもおもしろい。


まるで臼田あさ美が撮るような色味の写真になった


迫力のある文字。
こうゆう古いんだか、なんなんだかな看板とかがけっこう残っている。


アスファルトから咲いている花。満開。